2005 年11 月25 日
首を絞める喜び
物騒なタイトルになってしまった。だが、私は最近他人の首を締める事に快感を得ているのは確かである。精神病でも患っているのか、と疑いたくなる。他人を攻撃する事でしか自分の気持ちを表現できない、という分類がなされるのだろうか。もしそうならば、表現しようとしている気持ち、というものが存在するわけだが、私にとって気持ちを表現する、しないはあまり問題じゃなく、快感が得られれば良いと思っている。従ってこの分類は誤っていると思われる。
では、何故このような愉悦を感じられるのだろうか。確かに自分はどちらかと言えばサディスティックな性質であるが、他人を痛め付ける事ではそれほど快感を得られない。殺害する事に至っては論外だ。首を絞める事は決して相手を傷つける為にやっている事じゃないと考えている。ただし、相手の苦しむ声は聞いていて快楽を感じている。重傷だ。
首を絞める行為で私は安心感を得ている。それは他人を抱きしめる行為と何らかの関連性があるのだろうか。対象者が本気で反抗しない事に対して安心しているのだろうか。それとも征服欲、独占欲といったものの現れだろうか。全く意図が掴めない。
首を絞めて性行為を行うという窒息プレイなるものが存在する。もしかするとこれに近いものかもしれない。いや、性行為は全く行っていないのだけれども。あくまでもこの窒息プレイは失神で得られる1次的な快感、或いは首を絞める事によって相手の体を硬直させ、その後の性交渉で得られる2次的な快感のどちらかを目的としたものである。今回の問題とはあまり関係無いと思われる。まぁ無関係では無いと思われるが。
結局、何も分からないまま、私は今日も首を絞め続けます。軽くカウンセリングしてもらった方が良いとは思うんですけどね。
投稿者:未定at 00 :57| 戯言 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )